大体、フィクション。

140字じゃ足らない

ライブレポでもなんでもないけど、Syrup16g のライブにいってきた、

今日に限って提出しなくちゃいけない書類だらけだった。わたし半年、同期三ヶ月。まさかの帰り間際のクレーマー。そんな日だったもんで、ライブには一時間ちょっと近く遅刻しました。それでも最速の仕事をした気がする。

 

着いたら、丁度、明日を落としてもが、始まった。出だしの歌詞、やっと着いた、って安心感と嬉しさとでもうすでにグッとくる。

扉をあけたらひとが詰まっていて入れない。あけてもあけても入る隙間がないのには思わず笑った。曲を終えてから入るのが暗黙のルールだろ、とか、いま考えると恥ずかしいけど、とにかく曲の最中に扉をあけて入れそうなところを探す貪欲さをみせる自分がいた(笑)

 

記憶違いかもしれないけど久々にアコギじゃない明日を落としてもを聞いた気がした。勿論アコギも泣かされるけど、バンドでの音が馴染み深くて、どっちがなんて選べないけど泣きそうだった。

もう一日の疲れとか不満とかが全部溶かされるね。

 明日を落としても。は、いつだって死んでいい。無駄な肩の荷を気にすることない、いつだって死を選ぶことが君ならできる。なら、本当に今選ぶのか?いま、死ぬ?って。 

感情だけで死に急いだりしないように、現状の把握を問い掛けてくれる。結局は今じゃねえだろ。みたいな気持ちにさせてくれる。少なくてもいまのわたし気持ちの意訳で明日を落としても、を伝えるなら、そんな歌だと思う。

 

パッチワークも、とにかく長い間、聞きたかったから嬉しかった。

ここで、日常の退屈さ、感情が動かない苦痛さ、なんとかやり過ごす感が痛々しくてかっこいいなあ、と。これは最後まで感じることになるんだけど、わたしが知らない一時間で声が掠れてきてて、それがまた、よりかっこよかった。

 

土曜日 は上の二曲だけでも感じる忙殺される日々のなかに、を、この流れで、吹き飛ばされる昨日、他の誰にも代われない君と僕の顔が、ってくるかと。

言葉が見つからないから安っぽくいうけど、ここでツンデレのデレがきた、じゃないけど

たった二曲だけでも、それがあってこその温かさを感じるのにわたしが聞けなかったcopyたちまるごと聞いて、これで一旦締めてくる、なんて、堪らなかっただろうな。

本当に全部聞いた上で聞きたかった。悔やまれる。

もっと上手に綺麗に言葉にしたいのに、ライブを見ているときには一曲一曲、次々感情が突っ込んでくるから忘れちゃっていく。

 

本当に最後、リアル。

ライブでしか聞けないあのギターメロディがね、誰かと分かりあいたいくらいかっこいい。声がもう限界のようだったけどね、それだけ沢山全力で歌ってくれてたんだなあって考えたりしていた。

 

なんだかたいしてレポもしてないのに、感情ばかりで長くなってしまった。

 友人のブログで明日を落としても、を意訳する記事をみた。それがなんか目に浮かぶようだなあと思って、わたしならどうかなあ、と日記を書くまでに至ったのだけど、文章を書くのは久しぶりで、なんだか気取ってしまうね。

 

文章と感性がひとりひとり違って面白い。記憶に残すもので記憶を整理するもので他人の記憶を引き出して、他人に影響を与えたりもする。

わたしはTLに流れてくるsyrupへのみんなの愛が見えてとても幸せな気持ちになります。

もっとみんな日記にして書くようにならないかなあ。

 

今回も、syrupのライブは最高の始まりでした。バタバタしたりしたけど、前回わたしを思い出してくれたひとにあったりsyrupで繋がったひとと会えたり、前日から飲んだり、syrupがなかったら出会えなかった人たちばかり。本当にsyrupで人生が変わるね。きっとみんなもそうなんだなあ。と思う。

syrupを聞いたら、それだけでまた明日も頑張っていけるね。

十六夜ツアー、また必ず。次は最初から。

チケット取るのだけ、頑張ろ。