大体、フィクション。

140字じゃ足らない

こわいひと。

何年振りかわからない友達がふたり家に来た。

そしていつもの仲間が四人。

 

今日はそのひとりについて、

とてもいい人、なのに、とにかく、こわいひと。の印象があった。

一通りお酒が回って、人生ってなにか、地獄ってどこか、のはなしになる。

まあ、大体記憶がないからあれなんだけど。

わたしはいくら死んだって、何度だって人間になりたい。

でもみんなそうじゃないらしい。

意思疎通できて、表現できて、共感や、遠くの地獄や天国に思いを馳せてこういう会話ができること、同じように意思疎通のできる人間だからできることだけれど、

それ以上に、思考できることがしんどくて、ここが地獄なんだという。

そこはもう絶対分かり合えない。

哲学みたいなのは、確実に持ってる人はどう頑張ってもねじ伏せられない。それは今まで何度も熱を入れて会話してきたはなしを振り返っても相変わらず繰り返し続けて、不毛なんだと思うんだけども、会話の中で新しい発想と、共感を見つけたとき、やっぱりそういうのがたのしくてやめられないんだよなあ。考えるってたのしいね。

 

今回は想う人がいるから、死ねないね、ってところ、

「わたし、死にたいって思ってもそれ以上に絶対泣いてくれる人いるから、悲しませたくない。わたしが死ぬときはそいつら殺さないと心苦しくて(利己的!)無理。」なんて話をして初めて共感してもらえて、ちょっと笑った。

それくらい、ある意味、他人に重点をおいているからこそなんだって思ったら、彼の怖さ、が、得体のしれない生き物に思えたところが分かってすっとした。

似ているって言ったら私から見れば烏滸がましいけど、でも似てるところがあった。

わたしも彼も把握できない人がこわい。

じぶんの価値を自分で見つけられない、他人がいての自分、いいひとでいたい、きっとこのひとにはこう、とか、なんとなく自分の中の折り合いをつけて関わりやすくしているのに、関わりやすさの折り合いをつけるところが見つからないから本質を見抜かれているようで怖い。

分かってすっとしたけど、やっぱり同族嫌悪ではないのだけれど、ずっと一生素敵な人なのに怖いひとだって思い続けるんだろうなあ。と思うよね。

できるならあんな人になれたらって思えるけど、考え方が重すぎるから彼の性格の一端をみたくらいでは彼みたいな人生は担えないな。

酔っぱらってべらべらしゃべれたのに朝起きたら、二日酔い完全グロッキーも手伝って全然会話できなくなったのが悔やまれます。

会話を、コミュニケーションを酒に依存しきっていて、よくない。

 

とりあえず、カラオケは行きたかったよねえ。